2009年06月09日

生命樹

seimeiju.jpg

わたしの中のヘビたちよ
わたしの中のトカゲたちよ

隠れなくていい 怖れなくていい

遠い過去の
きみたちの記憶は

消えることなく 途絶えることなく
今もちゃんと残っている

わたしの一部として
わたしの一部として


   
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2009年06月08日

常温かく融合

kakuyugo

エネルギーはわたしの手の中にある
手の中にあって 静かに
わたしが気づくのをまっている

わたしの意志が動くのを待っている

何者をも傷つけず 何者をも虐げず
すべてのものを造り変える力 そして
けっして失われない力

エネルギーはわたしの手の中にある
手の中にあって やがて
無限への進化の扉を開ける


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2009年02月28日

じゅばく

911dav-a.jpg

人を憎むつもりはない
人を裁く力もない

ただ わたしは
いたるところに横たわって
じっとこちらを見つめている
「真実」たちの言葉を聴く

何処にも動けない自分がいる
誰にも見えていない自分がいる
そして 自分を取り囲む
はてしない呪縛がここにある


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2009年02月17日

しんじてる

dramatic.jpg

エネルギーの渦が 引き合い 押し合い
いくつものドラマを創り出す

きっと人生は
「ドラマチック」で出来ている
「ドラマチック」に変化する

だから・・・
いつまでも信じてる


   
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2009年02月09日

うちゅう人より

uchujin.jpg

ぼくの時間はゆっくりすぎて
君の目にぼくの微笑が届かない

ぼくの世界は希薄すぎて
君の目にぼくの姿が映らない

もう少し上の世界で出会えたら
もう少し上の世界で過ごせたら
ぼくのことが もっとよくわかるのに

・・・ほら また君は

ぼくの視線に気づかない
ぼくの言葉が聞こえない


   
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2009年01月27日

マジック

magic.jpg

ひょっとすると人生っていうのは
誰かの演じるマジックで
ぼくのまぼろしを
ぼく自身が見ているだけなのかもしれない

ぼくが席を立つと
マジックはどうなるだろう
そんなつまらないマジックは見たくない
と・・・ぼくが叫ぶと
ぼくのまぼろしはどうなるだろう
ぼくの人生はどうなるのだろう

高鳴る鼓動を感じながらも
勇気の足りないぼくは
まだここでじっとしている


  
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2009年01月14日

そのときを

atamanoue.jpg

あたまの上の
真上の空を見上げてみた

久しぶりに背筋がのびた

空の光を深呼吸して
からだいっぱいに届けてみる

くらくらくらとめまいがしそうだ

わたしの遺伝子の幾つかは
間違いなく 空を求めてる

空を見上げていると
こころのドアをたたき始める
思い出せない記憶にざわめき始める

けれどわたしは
遺伝子のドアを開けれない
鍵が見当たらない

はがゆい思いで
わたしはまた空を見上げる
空の光を深呼吸する

そして・・

いつかすべてがわかる
その時を信じてる


   
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2009年01月10日

げんし転換

tenkan.jpg

酸素は血液に
窒素は身体に
水素はエネルギーに
空気になって
空を飛ぶ・・・夢を見た
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2009年01月04日

はなれた場所から

hitononagame.jpg

はなれた場所から眺めていよう
人間社会に近づきすぎると
ぼくたちは病気になってしまう

ぼくたちは「自然」に生きているけど
人間たちは「社会」に生きている
ぼくたちは「自然」に順応すればいいけれど
人間たちは「社会」に順応しなければならない

病んだ「自然」がぼくたちを危うくするように
病んだ「社会」は人間たちを危うくする

だけど
その危うさに気づかないほど
人間たちは病んでいる・・・だから

はなれた場所から眺めていよう
人間社会に近づきすぎると
ぼくたちは病気になってしまう


    
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2008年12月30日

みあげると

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視線を少し上げると 自分が
ひかりに包まれていることに気づく

そのひかりの中に すべてを知っている
もうひとりのわたしがいる

 「時間とは 誰かがつくったまぼろし
   過去にも君がいたように 未来にも君がいる
    怖れるものは何もない
     怖れるものは何もない」

もうひとりのわたしの言葉は
朝日の温もりのように 肌にしみ込む

   「怖れるものは何もない
     怖れるものは何もない」

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2008年12月29日

すぐそこに

cemcloud.jpg

最近のインフルエンザは異常行動を伴うらしい。

http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/search.html

これはきっと薬のせいだ・・・と、わたしは思っている。

ところで、あのスペイン風邪では世界中で数千万人の人々が亡くなった。日本でも約39万人の犠牲者が出た。人口の増加や交通手段の変化を考えると、感染力は当時と比べ物にならないくらい早いだろう。まして新型インフルエンザの対処法は未だによくわかっていない。

初期の感染状況はパニックを避けるために公には発表されないかもしれない。そうなると公共のメディアに載るときはすでにかなりの数の感染者がいることになる。ましてやその感染経路を追っていくとなるとどれだけ広がるのか見当もつかない。世界恐慌の真っ只中に、情報は錯綜するだろう。

人々は外に出なくなって、流通はストップする。食料の供給が出来ない。電気や水道やガスや・・出社する人間がいるのだろうか。ましてや鳥インフルエンザは黄色人種にしか感染しないという・・・何をか言わんやである。

それでもわたしはインフルエンザの予防接種を受ける気にならない。理由は簡単、ただ嫌いなのだ。性に合わない。薬も飲まない。ワクチンと薬とは違うことはわかっている。しかし・・・とにかく嫌なのだ。それしか言いようがない。直感のようなものだ。

「いのち」の存在理由は人智をはるかに越えて、神秘の領域にある。対処法や治療法がわかっていない状況で、ましてや自分の「いのち」の問題だ。人にゆだねるわけにはゆかない。
つまりそういう場合、わたしとしては直感に従う以外に方法を知らない。直感に従うことこそが、わたしが心底納得できる対処法だと思っている。後悔しない方法なのだ。

加えてわたしは自然治癒力というものを信じている。また、自らの自然治癒力の発動の仕方もいくらかは心得ているつもりだ。
人間の持っている自然治癒力は、自然が人間に与えてくれた無償の愛だと思う。だからこそ人間は何万年も何十万年もこの地上に生きてこれた。

人間の身体も国家もそして地球も・・わたしは同じシステムで出来ているものだと思っている。さまざまな場面や状況でさまざまな症状に陥る。
実は、そのさまざまな症状こそがメッセージなのだ。何らかの変化を望むサインなのだ。
食べるもの、生活習慣、周囲の人々との関係や人生のとらえ方、地球上で生きる人間としてのあり方・・・。自分自身をもう一度よく見直すと回復への答えがどこかに隠れているはずだ。

現代社会は対症療法の処方によく似ていて、教育も経済も政治も・・・耳障りな意見は抑え込み、邪魔な部分は削除する。

対症療法はテロとの戦いのごとく病気と戦う。その戦いこそが新たな痛みをつくり出す元凶であるわけで、それでは病の種を無くすことはできない。

薬や開腹手術などによって自らの自然治癒力を弱めた身体は、リーダーを失い治安の定まらない国家のようなものだ。どこで争いが起きても不思議はない。

まるで何者かに陥れられたような社会。

「西洋医学は病は治せても人間を正すことが出来ない」と言った先人がいたが、わたしもそう思う。人間が正しい生き方に気づかなければ、病も争いも無くなりはしない。

自然も人間もその本質は競争ではなく共生なのだ。人間の身体の各部位を見てもわかるように、それらは互いに競争しているのではない。協力し合い、補い合い、共生しているのだ。自然は各部位に優劣をつけたりはしない。

自然から遠く離れてしまった生活から自然の法則に目を向け、創り直すべき時がきたのだと思う。科学も医学もそして経済や政治も・・・。視点を変えるべきメッセージが世界中に届いているのだ。

自然から不必要な搾取を止めれば疲弊しきった自然は甦り、人間への愛を深めてくれるに違いない。
同時に、他人からの不必要な搾取を止めれば、人類の愛は復活するに違いない。

不必要に求めてはいないか。不必要に傷つけてはいないか。そして、不必要に傷ついてはいないか。

まだ、間に合うだろうか。
世界の危機は、もうすぐそこに来ている。

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2008年12月11日

きおくのうみ

kiokunoumi.jpg

わたしは記憶
記憶の海を漂う命
わたしを包む
わたしの知らない記憶たち
けれど 間違いなく
すべてわたしの記憶たち
わたしを創った記憶たち

記憶の海に揺られながら
わたしは記憶たちの中に沈んでゆこう
すべての記憶を抱きしめて
わたし自身が記憶となって
やがて・・・わたしも
記憶の海となる


   
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2008年11月04日

けっしん

kesshin.jpg

そこから見ても何もわからぬ
ここがあって そこがあるのじゃ
そこは写し世こちらが本物
人はまぼろしの中で生きておる

逆さに見ればよく見える 逆さに見ればよく見える

なにを後生大事にかかえておるのじゃ
いつかここへ帰らねばならんのに
ここへ帰るときには たましいだけを持ち帰るのじゃ

たましいを磨け たましいを磨け

たましいが重いと途中で道に迷う 息が切れる
人は荷物を捨てるために生れてきたというのに
いらぬ荷物を また たましいに背負わせる

たましいの声をきけ たましいの声を聞け

そこの石段を
ひとつ登れば事足りる
ひとつ登れば風が吹く
ひとつ登れば景色が変わる

失うものは何もない 失うものは何もない


   
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2008年10月16日

まるくなって

watashinotubu.jpg

あの頃 孤独はいつも
人の横顔から 人の背中から顔を出した

孤独は誰かが連れてくるものだと
ずっと思っていた

けれどその時 孤独は思いがけず
わたしのこころから 顔を出した

ほんとは
わたしのこころで暮しているらしい

わたしを包む孤独を
てのひらの体温で温めてやる

わたしの孤独は ねこのように
てのひらで丸くなる

丸くなって 目を閉じて
やがて眠りにつく


     

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2008年10月03日

地上へ

kaidan.jpg

都会をぐるぐる回る電車の中で、携帯電話の画面に見入っている自分に気づいてふと思ったことがある。

  人は、何も考えなくていい・・ことを失くしてしまったのかもしれない。

いつも何かを考え、何かと話すように意識を活動させていなければ不安でしかたがない。だから集中することができない。集中とは意識を無にすることだ。

人々の周りには音と光と誘惑が溢れ出して、気がつけばその中をすいすいと泳いでいる自分がいる。それが生活で、それが生きることなのだと、生きることを楽しむことなのだと思い込んでしまっている。少なくともわたしは、長い間そういう生き方をしてきた。それでも今、

  こころに広がるこのざらざらとした靄はいったい何なのだろう。

手持ちぶさたの夕食時、テレビではどこの局でも・・同じような顔ぶれがクイズに答え、めしを食い騒いでいる。ニュースはどこも同じ原稿を読み、眠れない人のために明け方までむかし人気のあった映画やドラマを流す。今日という時間が過ぎれば昨日あった出来事も思い出せない。
感動というのは、そんなに簡単に消えるものだったのだろうか。

迷路のような地下街でお茶を飲み、服を買い、仲間と笑いあって時間を過ごす。そこは音と光と誘惑に溢れ、昨日と同じ安心した時間が流れる。何もここから出ることもないのかもしれない。ここにいれば必要な物はそろい、ちょっとした欲望を満たすこともできるのだ。
けれど、ここを通る幾人かの人は思っているだろう。

  外の方が、ずっと歩きやすいはずだ。

人の視界に入る世界は自分で思っているよりも狭い。意識の中に残る経験や知識も僅かなものにすぎない。その意識を精一杯回転させても、自分の判断が正しい結果を生むかどうかもわからない。人は、ほんとは何もわかっていないのだ。僅かばかりの空間で夢を見て、限られた時間の中を生きているだけなのだ。

今あるこの人生に少し息苦しさを感じたころ、一本の階段を見つけた。


   
posted by 音呼(ねこ) at 23:13| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする