
最近のインフルエンザは異常行動を伴うらしい。
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/search.htmlこれはきっと薬のせいだ・・・と、わたしは思っている。
ところで、あのスペイン風邪では世界中で数千万人の人々が亡くなった。日本でも約39万人の犠牲者が出た。人口の増加や交通手段の変化を考えると、感染力は当時と比べ物にならないくらい早いだろう。まして新型インフルエンザの対処法は未だによくわかっていない。
初期の感染状況はパニックを避けるために公には発表されないかもしれない。そうなると公共のメディアに載るときはすでにかなりの数の感染者がいることになる。ましてやその感染経路を追っていくとなるとどれだけ広がるのか見当もつかない。世界恐慌の真っ只中に、情報は錯綜するだろう。
人々は外に出なくなって、流通はストップする。食料の供給が出来ない。電気や水道やガスや・・出社する人間がいるのだろうか。ましてや鳥インフルエンザは黄色人種にしか感染しないという・・・何をか言わんやである。
それでもわたしはインフルエンザの予防接種を受ける気にならない。理由は簡単、ただ嫌いなのだ。性に合わない。薬も飲まない。ワクチンと薬とは違うことはわかっている。しかし・・・とにかく嫌なのだ。それしか言いようがない。直感のようなものだ。
「いのち」の存在理由は人智をはるかに越えて、神秘の領域にある。対処法や治療法がわかっていない状況で、ましてや自分の「いのち」の問題だ。人にゆだねるわけにはゆかない。
つまりそういう場合、わたしとしては直感に従う以外に方法を知らない。直感に従うことこそが、わたしが心底納得できる対処法だと思っている。後悔しない方法なのだ。
加えてわたしは自然治癒力というものを信じている。また、自らの自然治癒力の発動の仕方もいくらかは心得ているつもりだ。
人間の持っている自然治癒力は、自然が人間に与えてくれた無償の愛だと思う。だからこそ人間は何万年も何十万年もこの地上に生きてこれた。
人間の身体も国家もそして地球も・・わたしは同じシステムで出来ているものだと思っている。さまざまな場面や状況でさまざまな症状に陥る。
実は、そのさまざまな症状こそがメッセージなのだ。何らかの変化を望むサインなのだ。
食べるもの、生活習慣、周囲の人々との関係や人生のとらえ方、地球上で生きる人間としてのあり方・・・。自分自身をもう一度よく見直すと回復への答えがどこかに隠れているはずだ。
現代社会は対症療法の処方によく似ていて、教育も経済も政治も・・・耳障りな意見は抑え込み、邪魔な部分は削除する。
対症療法はテロとの戦いのごとく病気と戦う。その戦いこそが新たな痛みをつくり出す元凶であるわけで、それでは病の種を無くすことはできない。
薬や開腹手術などによって自らの自然治癒力を弱めた身体は、リーダーを失い治安の定まらない国家のようなものだ。どこで争いが起きても不思議はない。
まるで何者かに陥れられたような社会。
「西洋医学は病は治せても人間を正すことが出来ない」と言った先人がいたが、わたしもそう思う。人間が正しい生き方に気づかなければ、病も争いも無くなりはしない。
自然も人間もその本質は競争ではなく共生なのだ。人間の身体の各部位を見てもわかるように、それらは互いに競争しているのではない。協力し合い、補い合い、共生しているのだ。自然は各部位に優劣をつけたりはしない。
自然から遠く離れてしまった生活から自然の法則に目を向け、創り直すべき時がきたのだと思う。科学も医学もそして経済や政治も・・・。視点を変えるべきメッセージが世界中に届いているのだ。
自然から不必要な搾取を止めれば疲弊しきった自然は甦り、人間への愛を深めてくれるに違いない。
同時に、他人からの不必要な搾取を止めれば、人類の愛は復活するに違いない。
不必要に求めてはいないか。不必要に傷つけてはいないか。そして、不必要に傷ついてはいないか。
まだ、間に合うだろうか。
世界の危機は、もうすぐそこに来ている。
posted by 音呼(ねこ) at 23:27|
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